
コメント集
(敬称略)

諏訪敦彦(映画監督)
「そこにあるもの」の映像に初めて出会ってから、長い年月が流れた。
しかし時を隔てて今再びこれらの映像を見はじめた途端、この人々の声、身のこなし、笑い方、庭の草花の佇まい、施設の廊下に流れる時間、そんな細部までもが瞬間にありありと思い出された。
まるで彼女たちがずっと私の中に棲んでいたかのような不思議な感覚。
何か特別な物語が語られるわけではない。声高な主張もないし、始まりも終わりもない。ただ「見えない」世界を生きている彼女たちの時間と、見たいものしか見ようとしない私たちの時間が、やがて溶け合って地続きの時間として映画の中に流れてゆく。
ささやかだけれど、それは稀有な体験であると思う。そっとバラの花弁に手で触れながら花を楽しむ彼女を見つめる観客の瞳に今また彼女たちの時間が流れ始める。
そして、きっと伊藤さんや、初枝さんは、朗らかな笑い声と共にずっとそこに棲み続けるのだろう。
飯塚俊男(映画監督)
映画美学校において、ドキュメンタリー制作コースの募集が中止になって久しいが、この映画は、2010年そこで学んでいた人たちの卒業制作の作品である。
今見ても、映画の初心が表現されていて、すがすがしい気持ちで見終えることができた。
映画は、とりわけドキュメンタリー映画は、作り手と被写体との関係性が物語の軸になるが、目が見えない世界で生きている人に向き合う作者の心のあり方が素直で、共感を覚える。
改めてドキュメンタリー映画を学び、
深めていくことの大切さを感じさせてくれた。
小原徳子(女優)
私は今まで、目から与えられる情報が多いことに甘えて生きていたのかもしれない。聴覚や触覚で視る世の中の美しさを、ここで生きる方々が教えてくれる。
今まで見えてなかった世界を、この映画を通して見ることができました。
芦原健介(俳優/映画監督)
目の前に何があるのか、私はいつも分かったつもりでいる。
しかし彼らはそうではない。
慎重に、丁寧に、目の前にある何かの輪郭をその都度、確かめながら生きている。
この映画に向き合う私の心持ちは、施設に訪れていた子供たちと同じだ。
入居者と触れ合おうとする、その手つきはたどたどしく、おぼつかない。
でも、この映画の登場人物たちは優しく教えてくれる。
それでいいのだ、と。
品田誠(俳優/映画監督)
脱力した身体の両目から涙が溢れた。
施設の遠くから始まるカメラは、徐々に目の見えない入居者の方に近付いていく。 カメラの前で語る玲子さんや初枝さん。
なぜだか、ぼんやりとした受動的な態度ではいられない。
五感を使って、神経を研ぎ澄ませて観なければ。
映画は全編、そのことを求めていた。
やがて、映画は僕の世界と同化していった。
それは映像と同化したというよりは、
映像から想起されたものと一緒になった感覚。
僕と被写体の間に生まれた、架空でありながら確かな体験のようなものだった。 敬愛する俳優が「最近は映像を見せつける映画が増えている。僕はそういった映画に興味が湧かない。大切なのは、詩だ」と言っていたことを思い出す。
「そこにあるもの」ありふれているように見えて見逃すことのできない確かなものが世界にはある。
この映画もそうだ。
長谷川葉生(女優)
触るって、照れる。
特に父親の手なんて、いつから触れてないだろう。
恥ずかしくて、嫌だ。
知るようで、知られるようで。
何を?
そう思ったら、なぜだか涙が出てきた。
木場明義(映画監督)
目の見えない彼女たちはとても饒舌にその世界を語ってくれる。
そして繊細に世界を感じ愉しんでいる事を教えてくれる。
あたりまえの事だが、そこには笑い声があり、音楽があり、触れ合いがある。
苦悩もあるが、愛もある。
そして風の音や鳥の声の愉しみを教えていただいた。
観終わった印象は、とにかく、爽やかで心地よく、美しい作品だと感じた。
しゅはまはるみ(女優)
一度目に見たときはその「視覚」の点ばかりに注目していたが、
二度目に見た時はただ穏やかに日々を過ごす人々を、 やはり穏やかに捉えた映画であることに気がついた。
食事をし、買い物をし、散歩をして頬で風を感じる。
音楽を楽しみ、来客にお茶を出し、問われるままに昔語りをする。
そんな日常を優しく静かに見守るうちに、 私の心に密かな愛のようなものが生まれてきた。
今すぐ彼女らに会いに行き、昔話の続きを聞かせて欲しくなった。
世界の全てを指先と頬で見てきた彼らの昔話を。
みなさんお元気なのだろうか? 演奏のレパートリーはどれだけ増えただろうか? 彼女たちはいま、何を感じて暮らしているのだろうか…
昔昔亭喜太郎(落語家)
落語会にも目の不自由な方が来る事がありますが、
そういう方の方がよく笑って下さります。
目が見えない分、創造力を働かして自分の頭の中で物語を描くのです。
見えなくても、音や匂いや触れる事で観ることが出来るという事を教えて頂きました。
石本径代(俳優)
キュートなおばあちゃまたちが案内してくれる、五感の旅!!
さんぽ道で踏みしめる土の振動
花びらの繊維のやわらかさ
まっすぐにそれだけを聴く音楽 その感覚に、想いを馳せる。
はじめのころ 彼らにはあれも見えないんだ、これも見えないんだ、
と数えていたわたしの目は、
時が経つにつれ わたしはあれも知らなかった、これも知らなかった、
に変わっていく。
もっと一緒に居たいのに、あっという間の1時間8分。
まっ暗闇の映画館でこそ体験したい作品です。
西川達郎(映画監督)
目の見えない彼女たちの歩幅はゆっくりである。
ゆっくりと、少しずつ、一歩一歩確かめながら彼女たちは歩む。
『そこにあるもの』は、彼女たちの歩みのリズムに寄り添いながら、
彼女たちが知覚する世界を映し出していく。
風の音、鳥の声、花の形、木々のざわめき、楽器の音色、生命の輝きー。
私たちが足早に日々を過ごしているうちに、
気付かず通り過ぎてしまいそうになる、豊かな世界の断片を、
彼女たちは丁寧にその感触を記憶していきながら人生を歩んでいる。
彼女たちは全身で世界をみている。
ひとたび喋れば饒舌でチャーミングな彼女たちは、その言葉と佇まい、
そしてその人生の歩みをもって、私たちにこの世界の姿形を雄弁に伝えてくれるのだ。
田口敬太(映画監督)
そこにあるものは優しさと愛でした。
これは誰もが本来持っているはずの普遍的な優しさと愛についての映画。
将棋を打つシーンが特に好きです。
目が見えないことの不自由さをありありと見せてくれるからでしょうか。
あるいは、手探りで一歩づつ駒を進めようとする手のショットから、
人生とはこういうものだと感じられたからかもしれません。
映画館の暗闇の中で、あの赤いバラを触っている彼らや、
テープレコーダーから流れる歌声を聞く彼女の心の内側を
僕も少しだけ見ることができたような気持ちになりました。
目には見えないものを見ることができるのが映画だとこの作品から改めて気づかされました。
優しい気持ちや誰かを愛するという事を忘れそうになった時に、
この映画や彼女達の事をそっと思い出したいと思います。